李連杰は俳優・武術家としてだけではなく、慈善家としても有名である。
彼曰く“慈善が仕事、映画は趣味”。

2004年12月26日、家族・友人達とクリスマス休暇を過ごしていたモルディブ島でスマトラ沖地震・インド洋津波に遭遇。
国籍・人種・宗教の異なる人々がお互いに助け合う姿を見て感銘を受ける。 数日後、壹基金を始める計画を発表。
2年の準備期間を経て、2007年4月、中国赤十字会と手を組んで、“中国赤十字会李連杰壹基金計画”をスタートさせた。

一人が毎月一元、地球に暮らす一大家族のために寄付しようというのが、壹基金の基本理念。
設立以来、壹基金は災害救助・児童福祉・公益の人材育成に取り組んできた。

四川大地震(2008年5月)・台湾の台風被害(2009年8月)・雲南省の干ばつ被害(2010年4月)・青海省玉樹地震(2010年4月)では李連杰自ら被災地に赴き、救援活動をしている。

2008年の四川大地震発生後、李連杰は1年間俳優の仕事を休んで、チャリティー活動に専念すると発表。
同年11月、被災地の復旧作業プロジェクトのため四川省を再訪。
2009年には四川省でチャリティーウォークを開催し、“四川依然美丽”という公益広告に出演した。

また壹基金は毎年、壹基金チャリティーカーレースを開催。“壹基金典范工程”では、優れた公益事業に100万元を寄付してきた。

2009年3月、壹基金はブレア前英国首相主宰の“国連気候変動組織(The Climate Group)”と環境保護の領域で協力すると表明。
8月、貴州省貴陽で“『1,000の村落に太陽光LEDを』イニシアチブ(1000-Village Solar LED Initiative)”をスタートさせた。
 
 

こうした活動をする上で、独立公募基金会の資格を持っていない壹基金は、運営面において様々な制約を受けてきた。

2009年末から、李連杰は壹基金を公募基金会にするための活動を始めたが、望むような結果は得られなかった。

2010年9月、李連杰は出演したTV番組の中で、「今の壹基金は重大な危機に直面していて、中断する恐れがある。壹基金は身分証明書のない子供のようだ」と訴えた。 この発言は社会の注目を集め、深圳市が壹基金に救いの手を差し伸べてきた。
 

2010年12月11日、李連杰はfacebookでこんな“なぞなぞ”を出した。
I have a little riddle: 1, 2, 3! Guess what that means :)

“1,2,3!”が意味するものは“一生二、二生三、三生万物”(1から2が生じ、2から3が生じ、3から万物が生み出される)という老子の言葉。この言葉を信じていた李連杰は深圳壹基金の承認日が12月3日になるよう希望し、2010年12月3日、深圳市民政局は深圳壹基金の登録申請を正式に承認した。

2011年1月11日、午後1時過ぎ、深圳市市民センターで“深圳壹基金公益基金会”がオープンした。
壹基金はようやく独立法人の資格を持ち、独自の口座を持つ公募基金会になった。

2011年12月、壹基金は深圳市慈善会等との共催で“为爱奔跑(RUN FOR LOVE)”チャリティーマラソン大会を開催。
2012年5月、“Habitat for Humanity China”と協力して広州で“Youth BUILD(住宅建築支援活動)”プロジェクトを計画。
李連杰はカレン・モクと共に参加した。
 
 

李連杰は壹基金の創始者として活動する一方、2009年4月、世界保健機関(WHO)の親善大使に就任。12月、“国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)”に参加。

2010年、“国際赤十字社と紅新月会連合会”の親善大使に任命され、 2011年1月、親善大使としてベトナムを訪問した。

2010年、ノーギャラで【海洋天堂】に出演。映画公開後、共演した文章(ウェン・ジャン)と共に“海洋天堂計画”プロジェクトを立ち上げ、自閉症や脳性マヒの子供たち等への支援を続けている。

2012年4月の世界自閉症啓発デーには、“ライトイットアップブルー”等のイベントを開催し、自閉症への理解を呼びかけた。

2008年、壹基金の活動が認められ、フォーブス誌“アジアの慈善家48人”に選ばれる。
2009年1月に開催された“世界経済フォーラム(ダボス会議)”でクリスタル賞を受賞。

2010年5月、米タイム紙が選ぶ“世界で最も影響力のある100人”の“ヒーローズ”部門に選ばれる。
2011年11月、“ユネスコチャリティーガラ2011”にて“Pyramide Con Marni ”賞を授与された。

 

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